人口急減傾向 脳神経外科おたる港南クリニック

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人口急減傾向

 先日、「令和7(2025)年人口動態統計月報年計(概数)」が厚生労働省より発表されました。

 出生数67万1236人で、合計特殊出生率(この数字は1人の女性が生涯にわたり子供を何人産むのかというものです)が1.14と発表されました。もちろん、女性だけでは子供を産めませんから、1カップルあたり、1.14人の子供を産むということです。簡単にいうと1世代後には2人が1.14人になるわけですから、1世代(約25~30年)が経過すると、人口が半分になるという計算です。
 戦後、昭和22〜24(1947〜1949)年はいわゆる「第一次ベビーブーム」と呼ばれ、日本の出生数は急増しました。特に昭和24(1949)年には269万6638人と最高の出生数を記録しました。当時は、戦争からの復興が始まったばかりで、多くの人が家庭を再建し、新しい生活をスタートさせていました。住宅も物資も不足していたものの、「家族をつくり、子どもを持つこと」が将来への希望そのものと考えられ、平均的な家族像も「子どもは何人もいるのが普通」という時代でした。医療や栄養状態が改善し、乳児死亡が減ってきたこともあり、生まれてくる子どもの数自体が一気に増えました。この頃に生まれた人たちが「団塊の世代」と言われています。ブームが過ぎ去り、その後は次第に減少していきます。
 自分が生まれた昭和38(1963)年前後でも約160~180万人の出生数、約2.0の合計特殊出生率がありました。自分が小学生の頃を思い起こすと、日本は戦後の高度経済成長の真っただ中で大変活気のある時代でした。昭和47(1972)年には札幌冬季オリンピックが開催されました。自分が育ったのは札幌市西区西野です。当時、この辺りは新興住宅地として発展し次々と、新しい住宅が建設されました。自分が出身の札幌市立手稲東小学校は全道一のマンモス校と呼ばれた時期があり、毎月転校生が転入してきました。1クラスに同時に3人が入ってきたこともありました。教室には50人近くの児童がひしめき、教室が足りなくなり、急遽グラウンドにプレハブ校舎を作り、仮設教室として受け入れたこともありました。小学校3年の3学期から西野小学校が新設され、ようやくその状況が緩和されました。そのように人口増加に隆盛を極めてきた時代に育ってきました。
 昭和46〜49(1971~1974)年のあたりで、棒グラフが再び高く盛り上がっています。ここが「第2次ベビーブーム」と示されている部分です。すなわち、第一次ベビーブームに生まれた団塊の世代の人達に子供ができた時期です。昭和48(1973)年に209万1983人と一時的に大きな山を作りましたが、以後は減少の一途です。合計特殊出生率は昭和50(1975)年に初めて、2.0を下回り、1.91となりました。ここからが人口減少の始まりです。平成28(2016)年には出生数が100万人を下回りました。このニュースを聞いたのはつい最近のような気がします。減少が更に加速し、令和7(2025)年には出生数67万1236人(最多出生数の24.9%)、合計特殊出生率1.14(最高率の26.4%)と激減しました。つまり約4分の1です。

 一方で死亡者数は、昭和41(1966)年の67万342人が最少でした。以後は約70万人台で推移し、昭和54(1979)年には人口千対死亡率6.0人と最低死亡率でした。以後は高齢化に伴い、年々漸増していきました。そして、令和6(2024)年には160万5378人(最少死亡数の2.39倍)と令和7(2025)年には人口千対死亡率が13.3人(最低人口千対死亡率の2.21倍)と最高値を記録しました。
 この図に昭和60(1985)年から令和3(2021)年までの増加傾向を赤線で示してみました。そうすると令和4(2022)年からの数年は明らかに突出しているように見えます。突出した部分を合計すると70~100万人程度になると思われます。何があったのでしょうか?当初からこれを正確に分析し、発信し続けているYouTuber(Fさん)がいます。自分もその分析には賛成します。
 いずれにしても、現状の統計を考慮すると一世代後(約25年後)には日本の人口は半減することになります。そして、令和4(2022)年以後に起きた更なる加速因子によって、想定外の人口減少が生じていくと思われます。残念ながら、我が国日本は衰退の一途を回避することができないようです。

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