「直美(ちょくび)」 脳神経外科おたる港南クリニック

〒047-0003 北海道小樽市真栄1丁目6番1号

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「直美(ちょくび)」

 最近、医療業界では「直美(ちょくび)」という言葉が使われるようになりました。直美とは、医学部卒業後に最低限の初期研修(2年間)だけを終え、十分な臨床経験や手術経験を積まないまますぐに形成外科や皮膚科などの美容医療分野にフルコミットしてしまう事で、「保険診療での基礎的な臨床経験を飛ばして、いきなり美容に行く医師」のことを指す言葉としても使われています。「直美」が増えている背景には様々な理由があると思います。美容医療は自由診療で自費収入が高く、需要も多い上、若手でも高収入が得られるし、当直や救急がなく、ワークライフバランスが良いからです。社会はこれを問題化し、批判する傾向にありますがはたして、直美を選択する医師側のみに責任があるのでしょうか?
 自分の子供の頃の友人はおおよそ同じ生活レベルの人達でした。自分の家に友人が遊びに来た時は、自分の母は「かっぱえびせん」やミカンを雑然とお盆の上に載せて友人に出してくれましたが、ある日、開業医の親を持つ友人の豪華な自宅に遊びに行った時、出てきたおやつは「ショートケーキ」と「お紅茶」でした(美人で上品なそのお母さんは紅茶と呼ばすにお紅茶と呼んでいたのです、笑)。高校生になり、大病院の御曹司の友人がいました。超豪華な自宅には大きな庭があり、その中にある池には一匹数百万円もするという「鯉」が何匹も優雅に泳いでいました。今までとは全く違った経験に、「お医者さんって、お金持ちなんだなぁ~」とカルチャーショックを受けたものでした。そんなことを今でもはっきり覚えていますし、それらの経験は自分が医師を目指すことになる一つのきっかけでもありました。子どものころは自分なんかが医者になんか成れるとは思ってもいなかったのですが、高校生になると「もしかして、成れるかも!」と思うようになりました。とは言いながらもそれを裏付けるための努力は大してせずに、周りの友人と同じような高校時代を過ごしました。卒業後は医学部を受験したのですが、そのハードな競争に跳ね返され現実を理解し、そこから懸命な努力を始めました。おそらくは自分の人生で最も全力で真摯に向き合った期間だったと思います。その結果、めでたく医学部合格を果たしましたが、その時は「これくらい必死で努力しないと達成できないものなんだなぁ~!世の中を舐めていた。」と思いました。入学後も留年の危機感を常に感じながら、進級試験をクリアし、医師国家試験も頑張って合格しました。今思えば医学部合格が最もハードルの高い障壁でした。
 医学部6年生になると、卒業後に自分が先行する道を決めなければなりません。まだその当時は研修医制度が無かったので、卒業後はすぐに専攻を決めて、出身大学の医局に入局しました。同期の仲間も9割以上が出身大学の医局に進んでいました。決め方としては、医局主体で6年の夏休み前後から、「医局説明会」などという行事が開催され、おいしいものをごちそうされ、酔わされて、その場で進路を決めさせられ、教授と握手して決定!こんな感じでしたね(笑)。自分はまずは外科志望!週刊少年チャンピオン(1973~1983年連載)の漫画「ブラックジャック」に憧れ、田宮二郎主演の「白い巨塔」(1978~1979年放送)を観て、腕の良い外科医を目指したいと思っていました。その根拠たるや、今思い出しても単純なもので、「人の生死にかかわる仕事をしたい!」、「医者として世のため、人のために自分の人生をささげるのだ!」とか「かっこいい!」、という理由だったと思います。その時代、そういった高尚な志に見合った専門が脳神経外科だったので、いくつかの外科系の医局の中から、「脳神経外科」にすることに決めたのです。脳神経外科を勉強して、しばらくは正解であったと思い込んできました。大学で最先端の医学を勉強し、自分がそれを切り開いていくのだという志を持ち、努力もしてきました。ところが運命とは残酷なもので、人生は思ったようには進みませんでした。勤務医として15年ほど各地の病院勤務、大学院やアメリカで基礎研究を行った後にこの先どのような設計をしようかと考えていた矢先、当時勤務していた病院がトラブルに巻き込まれ閉院ということになってしまいました。そこで、勤務していた自分が後を引き継ぐかどうかという決断に迫られ、19床の有床診療所として引き継ぐことになりました。これが一世一代の大きな決断でしたが迷いはありませんでした。その建物を利用して、旧職員の一部を採用して、約1週間後に新クリニックを開業することになったのです。22年前(2004年)のことです。開業最初、医師は自分一人だけだったので、時間外でも救急患者を受け、自分は24時間365日にわたり小樽に張り付いていました。とにかく、無我夢中でした。そのような仕事を2年半続けて、一緒にやってくれる後輩医師を招聘することができたのです。それまでの生活たるや、今時の「働き方改革とは何ぞや???」というくらいの状況でした。とは言え、大学を卒業したての新入医局員の時はもっと働いていたので、この程度の仕事量はたいした気になりませんでした。
 開業後の経営は順調に推移して、2011~2017年頃までは安定した経営でした。その後、診療報酬改定の影響で減収減益を強いられるも何とかやっていけました。自分としては無駄遣いをせずに堅実に経営してきたと思っています。ところが2021~2022年度は新型コロナウイルスの影響で大打撃を受けてしまったのです。外的な影響によりこんな大きな打撃を受けるとは予想していませんでした。多くの医療機関が同じ状況であったと思います。大半の医療機関はその打撃をコロナ関連の収入で補填してきたのです。その大きな一つに新型コロナウイルス感染症の感染予防効果を謳った「遺伝子新薬」の接種です。これにより多くの開業医が新型コロナウイルスの影響による損失を補填しました。自分は、当初よりこの「遺伝子新薬」が、期待通りの感染予防効果があり得ないことは理解していました。最初からおかしな経緯で導入され、安全性の担保も無しに全世界中で使用された事実を踏まえて、自分は相応な薬害が生じると確信しました。そんなことは自分だけではなく、医学を勉強し、医療に身を置いてきた医師であれば簡単に理解できるはずです。しかし、どういうわけか専門家と称する医師が「遺伝子新薬」をこぞって推奨したのです(???)。その結果、現在、未曽有の「史上最大最悪の薬害」が進行しています。しかも、それは表沙汰にされることなく、隠ぺいされ続けています。当院では患者様誰一人にもこの「遺伝子新薬」の接種はしておりませんし、推奨もしておりません。職員には「逆同調圧力」で接種しないように説得しました。自分は医師を志した初心を忘れることなく、医師としての良心に従って行動し、発言・発信してきましたが(ブログ:3年前の狼煙)、新型コロナウイルス感染症の感染予防効果を謳った「遺伝子新薬」の接種の頃から、社会からはなぜが「反逆者」・「陰謀論者」扱いを受けてきました。たくさんの辛かった記憶があります。しかし、最も辛いのはコロナ騒動により大打撃を受けたものを現状でもとり返せないということです。以前よりの診療報酬改定により減収減益となりつつあるところの更なる一撃です。長年、保険診療で頑張ってきて、自分としては患者様の健康や生命を第一に考えて医療を実践してきたのに、その自分がこの年齢になってこんな思いをするとは(涙)。
 医師としての使命を誠実に尽くして、それが報われなくなったこの社会において、「直美」に進む若い医師に対して、個人の選択のみを批判できるものでしょうか?背景にある社会構造を正さなければならないのではないかと思います。
 そうですね。今、自分が医師として将来の選択を迫られるとしたら、然るべき期間はしっかり研修し、その知識や技術をもって、美容関連の自由診療と保険診療を併用するクリニックを経営するという選択をすると思います。

外来受診ご希望の方
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